【ⅩⅥ】
キーブル城内の深奥の夜は深い。それは夜陰のせいばかりではなく、あるいは密議の暗さゆえでもあろうか。
面がまえに似ず験をかつぐたちのオルドロスなどは、城内の意外な場所のほの暗さに気がつくたびに、小さく魔よけのまじないを口にする。それでも彼にすれば、キーブルをおおっていた重苦しい雰囲気は霧消のしようもないように感じていた。
だがその夜の軍議のために一室に寄った者らの空気は、久方ぶりに明るかった。アレンビーでのマールの勝ちは、大きい。ユリウスはこれで南方に気をとられずに、イオの中央で軍を展開できる。カスバルとアレンビーを押さえてしまえば、かなり押し返したと云えるだろう――と。
ややおとしぎみの灯りの中、主座のユリウスもまた機嫌がよいようである。むらっ気のある主君ではあるが、景気のよい話では、一座をもりあがりに水をさすようなまねはしない。上機嫌を隠そうとしない気のいい面もある。かたわらには、アレンビーの勝報をきいたのか、急きょエウラリーアより馳せ参じたリンドレイが伺候していた。
軍議がひととおり落ち着いたころあいだった。
土豪のひとりが進み出た。カスバルでも指おりの実力者、ランティーヌ公である。
「諸公らに謀りたい議がある」
そう云うと、書記に退室するよう命じた。室内には、20名にも満たぬ選りすぐりの者だけがのこった。人払いをしたその措置に、諸公らの眼に緊張がはしるのを、学者めいた温厚そうな表情が満足そうに見渡すと、おもむろに口を開いた。
「カスバルの独立だ」
硬い沈黙。その沈黙は、数瞬でとまどいへと変化し、困惑のさざなみが部屋を満たした。
「不可能と思うか、諸公らは?」
うかつなことを云えぬ場となり、一同はたがいの顔色をうかがう。
「ふたつの大陸で、イオほど繁栄と安寧を約された地はない。これは誰あろう我らの祖が、ミルド、シナグ両族が、古い恩讐を寛容な心でもって乗り越えたものであり、世にふたつとない豊穣な果実だ」
ランティーヌ公は、むしろ淡々とした調子でつづける。
「両族がいつまでも相容れなば、イオは立ちいかぬ。ミルド、シナグ両族は、もはや互いに離れることのできぬ兄弟のようなものであったはずだ。両族の融和こそが、イオ千年の繁栄の基――だがマリウス王は固陋にして、その法を知らぬ。シナグ族がイオの主宰であるという思い上がりは、依然ぬけぬ」
ミルド族の諸公ら顔上に、苦い空気が気配が流れた。
「これ以上、両族のあつれきを看過することはできぬゆえに、ユリウス殿下は軍を挙げた。我らは両族の融和を目指し、血を分けた実の兄と争う苦渋の選択をされた殿下のお心に共鳴して、こうして参陣した……だが……殿下や我らの真情を、マリウス王は踏みにじった。こたびの戦役で、両族のつながりは完全にたたれてしまった」
おそらく、その場にいた多くの者がランティーヌ公の真意を察したのであろう。ざわ……とかすかに室内の空気が震えた。
「……ランティーヌ公、貴公……そのようなことで、カスバルの独立などと軽々に口にするのか……」
カスバルの重鎮、シベリウス公が苦々しげに口をはさんだ。
「無論、我らがのぞんだのはイオの安寧だ。だがしかし……もはやイオはふたつに割れているのだ。わからぬのか、イオはもう元にはもどれないのだ」
聞かなかったようにつづけるランティーヌはの言葉に、熱がこもる。その場にいないマリウス王を殴打するかのごとく、こぶしを振り上げた。
「もはやシナグ族と決別せねばならぬ時だ。カスバルに新しき地を切り取るのだ」
「待て……!」
さえぎろうとするシベリウス公の言葉も無視をし、強引につづける。
「シュペールの名において、ユリウス殿下がカスバルを取り仕切る他はない!」
誰もが主座のユリウスへ視線をむけた。あるいは熱気に満ちたそれを、あるいはとまどいのそれを。一同の視線を受け止め、ユリウスの顔が紅潮していた。室内はたとえようのない、緊張に満ちた。
その緊張の紗幕を切り裂くように、ユリウスの岳父であるアドモス公が高く声をあげた。
「私はユリウス様を支持するぞ!」
壮年になっても、文句のつけようもない立派な美丈夫であるので、押し出しは立派だ。それに呼応するように、室内に小さからぬ賛同の声があがった。
しかし――
「ちょっと待っていただこう」
シベリウス公がその熱気に水をかける。戦役の当初、アンドレードで暴徒に暗殺された、ミルド族の参議シベリウスの一族にあたる。発言力は大きい。
「殿下がイオの王位につくことと、殿下がミルド族の王になることは、まるで意味が違いますぞ」
痩躯に剛毅な風貌のその人物の言は重い。
「いかにも!」別の土豪も声をあげた。「私は殿下がミルド、シナグ両族を想って、両族の融和に心をくだくおつもりだと信じて、挙兵に賛同したものだ。それが今さら、国をふたつに割ってしまう?お主らは一体何を云っている?筋が違うぞ!」
ランティーヌの言葉に賛同する風があった室内だが、それにのらない声も小さくはない。
「実際のところはどうだ!」ランティーヌ公は、いらだたしげに語気を荒げた。「諸公らはユリウス殿下に加担されて挙兵した。殿下には輿に乗ってもらってどこまでも進むしか手はないのだ、今さら後戻りはできぬぞ!」
「我らはイオの中にあってこそのミルド族だ!我らが目指したものは、ミルド族主導によるイオだ。カスバルだけでは、シナグ族やクロシアに呑みこまれてしまうのだぞ!今!ここで押し切っていまわなければ、我らの悲願など達成できるはずもない!」
シベリウスも、負けじと荒々しく反論した。気負った賛同の声があがる。この場につどった多くはミルド族であり、戦況を度外視した強固な敵愾心を燃やしていた。しかしランティーヌに賛同した土豪たちが叫ぶ。
「エープやレンバーでの蜂起も、すぐに鎮圧されたのだぞ。そのうえ、東方の土豪連中との連携も、今や絶たれている!このままキーブルにいても、ささえきれないぞ!」
「ならばカスバルへ引っこむと云うのか?なぜそのような消極策を?アレンビーを押さえた今、勢いはこちらにある。我らが引く理由はない!」
「戦線を拡大するのは不利だ。勢いがある今、我らの勢力を再結集するべきだ。カスバルがひとつにまとまれば、堅果は容易には割れぬ!」
「今回の戦役で我らが苦戦しているのは、カスバル内にもマリウス王に近い親シナグ派がいることだ。ユリウス殿下がカスバルの王となれば、先鋭的ではない土豪たちも、カスバル内で独立を積極的に支持できぬ者も、ともに納得をする。」
「仮にカスバルが独立すれば、ユリウス殿下についてきた東方の土豪たちは離れていくぞ」シベリウスは苦々しげに反論する。「連中が黙っているわけがない。カスバル一帯のみならず、国土の各地での不安要素があるために、王側の鎮撫軍が思いきった攻勢ができないということを忘れてはいかん」
「シベリウス殿、考えてみられよ。殿下に宣していただき、カスバルというはっきりとした反マリウス王の勢力が存在すればこそ、各地の不満を持つ土豪連中も動きやすい」
ランティーヌはむしろ抑えて、彼らの言葉をいれぬシベリウスらをさとす。
「机上の空論だ!」
シベリウスは、荒々しくこぶしを振り上げた。賛同する声があがるが、さらに反論する声も大きい。
「殿下はあくまでシナグ族の王族であり、ミルド族ではない。我らの地を総べるのに、シナグ族を戴くことなどできぬ」
「我らには、ミルド族には、王がおらぬ。力のある土豪がいても、誰もひとつにもとめることなどできまい。ここはユリウス殿下を戴く他はない」
「だから独立など論外だと申しておろう!」
「血筋などこの際、固執する必要があろうか。ユリウス殿下にはハデス様がいらっしゃる。ハデス様のご母堂はミルド族だ。代を重ねるうちに、カスバルは硬く結束をするのだ」
「アドモス公、貴方は殿下の岳父だ。うまみはあろうが、我々は違うぞ」
「無礼なことを云うな、ミルド族のためにお立ちになった、殿下こそが信ずるにたる――」
彼らはみな、冷静さを失い激昂していた。ユリウスのかたわらに伺候していたリンドレイが、そのるつぼへ脚を踏み入れた。
「待たれよ諸公、待たれよ、待たれよ、しばし待たれよ!」
歳のわりに妙に血色のよいこの男の声は、このような場ではそぐわないほどに鳥のように高く、しかしよく通った。一同はこの男の制止に、議論を中断させられたかたちになった。何がだと怒鳴る土豪をいなすように、手振りで抑えた。
「諸公らは熱くなりすぎておられる、ここは冷静になられよ!諸公らばかりが、そのようにおっしゃられてどうなると云うのですか?何よりここにおわす、ユリウス殿下のお心うちこそが肝要ではないのか?」
「是!いかにも!なれば伺おう、ユリウス殿下のお心は、那辺におありか?」
シベリウスが発した。それはシナグ族の王族が、欲にかられた手を伸ばせば、一刀のもとに斬ってすてんとの怒気に満ちていた。
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