【ⅩⅣ】
イオ王マリウスが老宰相ベルンを王宮内の別宮へ呼びよせたのは、夏の盛りである。宮外からの流れを引きこみ、四周を木立にかこまれた、いかにも涼やかな池に面した夏用の別宮は、湿気の多いイオニアの夏をしのぎやすくするため、天井が高く、間口も窓も特別に広くとり、あたかも宮内に風がぬける道があるかのように、常に涼風が吹きぬけていく。
池に張り出した露台は、影をえるためひさしを長くしつらえ、水気との涼とあいまって、ことにしのぎやすい。長椅子を持ち出した王は、酷暑にもかかわらず機嫌は悪くない。一時期は危ぶまれたカスバルの乱も、ここ1月ほどでようやく鎮静のめどがたっている。
ベルンは王のかたわらまで寄ると、右掌を左胸にあて、イオ古式の礼をする。
いかめしげな獅子鼻が、この老いた宰相を見上げる。従者がすばやくよく冷えたホータン酒を整えた。
「お呼びでございましょうか?」
「うむ……」マリウス王は、もったいぶったように酒盃に口をつけた。「ユリウスめの件……年内に始末がつくと思ったが、年が明けて半年も引きずるはめになろうとはな。確かにお主の云ったように、いささかこちらの腹づもりが狂った」
王はベルンの微妙な表情の変化に、気がついたであろうか。柄にもなく、云いわけじみたとりつくろいだった。
「他の重臣どもは開戦前は威勢のよいことばかりで、責任逃れの言を弄するばかりだ。ユリウスをな――」
いかがすべきか――との王の問いに、しばし瞑目したベルンであったが、やがて居ずまいを正した。
「陛下には、峻厳なるご聖断をたまわりますよう進言いたします」
「……驚いたな」マリウスは苦笑に近いそれを、唇の端にうかべつつ云った。「お主ならば寛大な処置を進言すると思っていたぞ」
「ユリウス殿下の引き起こした擾乱は、イオの国威いちじるしく損ねました。元にもどるには、何年かかるか見当もつきませぬ。夏の収穫も、例年より3割は落ちるでしょう」
「それはすでに庁議で聞いておる」
「これは明確な叛逆にございます。恩情も度をこしてはなりません」
「む……」
「王弟殿下に責任をとっていただく他、事態を終息させる筋道はたちませぬ。ユリウス殿下が王族で幸いでございました。格好がつきます」
「宰相は、奴を見せしめにせよと申すのか?」
理不尽な要求をつきつけられたかのように、マリウス王の顔から笑みが消えた。先ほどまでの上機嫌も余裕も、影をひそめてしまった。
「この国はまっぷたつに割れてしまったのです」ベルンはかまわずにつづけた。「もう一度ひとつにまとめあげるには、いけにえが必要です。将来に禍根をのこしてはなりませぬ。心を鬼にして、ご決断ください」
「……世人は誰が処断したと思う?余がユリウスめとの確執からしたと思うぞ!」
憮然と応える王。
「ひとときの無責任なうわさと、イオの安定、どちらが大事とお思いですか」
説きつつ、なるほどと思った。王は弟殺しの汚名をかぶりたくないのだ。つまらぬ小心ぶりが、このような場で出るとは……
だが、マリウスは理非をわきまえぬ王ではない。ベルンのような口うるさい者をそばに置き、耳をかたむけるのがその表れだ。
「あ奴を処断すれば、カスバルは治まらぬぞ!」
「陛下はいかがされるお心づもりですか?」
王は長椅子から身体を起こし、ベルンを見上げた。
「奴からは領土を召し上げ、アンドレードで蟄居させる。カスバルは分割する」
「そのような断罪では誰も納得しません」
「ミルド族の有力土豪に統治させるのだ。奴らの腹は封土だ。それで収まるだろう」
「つけあがらせるだけです。土豪に対しては寛容な態度をとるべきですが、かといって焼け肥りをさせては道理がとおりません」
「もうよい、決めたのだ」
「死んでいった将兵たちに顔向けできませぬぞ」
ベルンは語気を強めた。王は渋い顔をした。情勢を甘くみて、不用意に戦線を拡大していったのは、王や重臣たちである。ベルンは一貫してそれを押さえようとしてきた。
「もうよい、余は決めたのだ」マリウス王は後ろめたそうに繰りかえした。「実弟を処刑するような王に、民が信をおくと思うか?カスバルの乱で、人心は荒れている。ミルド族の叛意を懐柔するためには、寛容さが必要だ」
硬いベルンの表情を凝視しつつ、王はつづけた。
「お主も憶えているはずだぞ。父は兄ふたりを誅して王位についた。祖父は20名以上の王族を粛清した。シナグ族もミルド族もまきこんで、国は乱れた。王族の確執は、イオのお家芸よ」
マリウス王は卓上の呼び鈴をふり、従者に酒の追加を命じた。酒甕のホータン酒はほどよく冷えている。贅沢なことである。
王は酒盃を満たすと、ひと息にあおった。
「……ベルン」
「は……」
「ユリウスめを誰よりも誅したいと思っているのは、この余なのだぞ……」無表情でふたたび酒盃を満たし、またあおる。「だが余は、つねに弟に対して寛容であった」
自嘲した。ベルンは無言であった。
「寛容、寛容、寛容――!」不意に王が怒声をあげた。「余がどれだけ、あの傲慢な弟に我慢したと思っているのだ!」
怒気が王から鷹揚さの仮面をこそげとっていた。酒精とは別の何かがが、表情を荒涼なものにしていた。
「その挙句がこの様だ!奴を断罪することで国が乱れるのをおそれたことが、血を分けた兄弟だということが、奴の慢心を育て、野心を生んだ!余の恩情に甘えおって!小ずるく、王の重責など考えたこともないマリウスめが、まるで子どもが玩具をほしがるがごとくに王位をうかがいおって!」
まるで眼前にユリウスの幻影がいるかのように、激しく腕を振りはらう。老いた宰相は無言で王の言葉を受けとめていた。
「だが、それでも……それでも余は、ユリウスめを寛大にあつかおうと考えているのだ。すべては安寧のためにだぞ……」
怒気が炸裂したのと同様の唐突さで、それは急速に収斂していった。むしろ内包された硬さで、無念そうに王はつづけた。
「それをベルン、お主はするな――と申すのか」
「なりません。王としての責務をおはたしください」
淡々とベルンは応えたが、白眉の下の眼は秋霜のごとき冷厳さであった。王の眼光もまた、行き場を失った憤怒がにえたぎっていた。
凝視の時が流れる。水面すれすれを白い水鳥が滑空し、着水しようかしまいか迷うかのように伸びた細っこい脚が、小さな波紋の列を描き、ふたたび舞いあがっていった。
王はいまいましげに眼をそらした。そらしたその顔には、残虐な悦びと敗者の懊悩とが、複雑に混ざりあっていた。それは大事なものを得、そして失った者のそれであった。
「……職を辞せ」疲れきったように、云いはなった。「ユリウスめの命と引き換えだ」
そのような王の表情をまばゆげに見やり、ベルンは深々と一礼をした。
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