【Ⅻ】
「ほらよ、待たせたな」
してやったりと笑いつつ、厨房からちょろまかしてきた皮袋を振ってみせると、円座を組み待ちわびていた同輩の兵士たちは、ひそやかな歓声をあげた。半分ほどに満たされているのは濁り酒である。
「なんだ、これっぽちかよ」「うるせぇ、これだけがやっとなんだよ」「はっ!しけてやがる」「そう云うなよ、御神酒も久しぶりだぜ」「このあたりじゃ、いくさなんてろくすっぽありゃしないのに、何でこう締めあげられるかねぇ、やる気も出やしねぇぜ」「同感だ」
悪態をつきつつ一同は回し呑みをする。喉がほどよくしめったところで、館の壁か屋根からはがしてきた古びた石板の上で、再びダイスを転がしはじめた。
「おい親は誰だよ」「ああ俺だ。はえぇところ張りな」「待てよ、さっきまでつづけてきたから……」「ひひひ、鴨ほど考えるんだよ」「また親の総取りなんてふざけたことにならんようにな」「おい、こっちにも回してくれよ」
カスバルの小都市マロムの、粗末な外壁の上の詰め所。夜警をさぼり、ダイス賭博にうつつをぬかす守兵たちである。彼らは徴用された農兵だ。いくさと云われても、身が入るわけがない。
夜半はとっくにすぎ、城壁にはところどころにかがり火が、それもあまりやる気のなさそうに焚かれているのみで、深更の闇の深さはマロムを包みこんでいる。夏の虫も今は眠りについたようだ。
マロムはカスバル王側についた領主の居城であるが、一帯はキーブルやアレンビーほどの大規模な衝突はなく、長いこと平穏である。夜警の兵士たちが暢気にかまえているのも、仕方のないことだ。
「こっちは、思ったほどひどいことにならなくて助かったぜ、いくさなんてとんでもないことだ」
くちゃくちゃと粗末な乾肉をかみつ、ダイスの目を注視しながらひとりが云った。濁音の多いイオ人のウォグ語だ。他の者もそれに応える。
「しかし、ユリウス殿下はどうなるのかねぇ?」「どでかいけんかをしかけたんだからよ、ただじゃすむめぇ」「ご領主様もついてたぜ。ユリウス殿下側についてたら、今ごろ青くなってたぜ……おっといただきだ」
一同がどっと笑い、あるいは舌打ちと下卑たののしり声があがった。
「つきが回ってきたか?」「何、まだ裏目裏目だ」「ほい、張りな張りな」
ダイスを転がしつつ、無精ひげの濃いひとりが茶化すように云った。
「しかしまぁ、ユリウス殿下もな、カスバル解放なんてご立派なお題目を唱えたってよぅ、おれらにゃ関係ないことだぜ」
ちげぇねぇと笑う一同だったが、そのうちひとりが硬い言葉を口にした。
「関係ないなんて、どういうことじゃ。おれらミルド族がシナグ族の連中に、いいように扱われてるってのは、本当だろうが」
うつむき加減で低くはあったが、斜視の彼の視線はいらだたしげで、その言葉は誰の耳にもはっきりと届いた。場の空気が妙に白けたものになった。
「もう何十年も、何百年も。ユリウス殿下は俺らのためを思って蜂起したんだろうが。あんたら、そのことを考えてみたことあんのか?」
「やめろや、おい」
無精ひげがおもしろくなさそうにさえぎった。皮袋を取り上げ口をつけるが、もうのこっていない。舌打ちをする。
「そんなことは、俺らが考えることじゃあねぇんだよ。こむずかしい話はお偉方にまかせとけ」
辟易して話をさえぎるが、一度火のついた男はなかなか止まらない。いさめようとする周りの態度にも憤慨をする。
「あんた、それでいいのかよ。シナグ族のやり口は知ってるだろうが?奴ら、俺らをとことん押さえつけなけりゃいけねぇと思ってんだぜ」
「やめろやめろ」
「おい、まじめな話だ。いくさの前、このあたりじゃ麦ひと袋が40ターレルだったが、アンドレードじゃ5ターレルも安かったんだぞ。しかし売値は俺らの方がずっと安い。賦役もカスバルの方の負担が大きいって聞くしよ」
「本当かよ……」
「うわさだ、ただのうわさ」
「俺はよ、ユリウス殿下が正しいと思う」
斜視が声をひそめ、一同をぐるりと見渡しつつ云った。ひとりが苦笑しながら云う。
「ばか野郎が、正しかったら領主様が従ってるだろうが」
「違う!」低くするどく、小声で反論する。「間違っているのはご領主だ。カスバルのことを考えるのなら、断固ユリウス殿下支持だ」
「……まぁ正直云やぁよ」ひとりがためらいがちに言葉をはさんだ。「何て云うかその……おもしろいもんじゃねぇよな、シナグの連中にでかい顔されるのは」
「ちょいと待ちなって」無精ひげがあきれたように口をはさんだ。「お前らなぁ、それじゃどうするつもりだ?街を捨てて、ユリウス殿下の軍に志願するのか?それともご領主をふんじばって、王弟派とでも宣言してたてこもるつもりか?おいおい、へたすりゃ逆賊あつかいだぜ」
「いや俺はそんなつもりで云ったわけじゃ……」
賛同した男は、あわてて否定する。他の者もばつが悪そうに身じろぎをした。ひきがちな一同の様子に、ほれみたことかと無精ひげが鼻をならすが、ただひとりだけ頑固に反論をする。
「それぐらいしたってええんじゃねぇか?」
「おい、意地をはるのもいいかげんにしろよ」
「あんたらにはわからんのか?これは大事なことだぞ。ミルドの領土を護ろう、シナグの連中から奪い返そうって気概のある奴はいねぇのかよ」
「トートのいかさまダイスにかけて、おめぇはのぼせあがってるよ、頭冷やしな」
無精ひげは皮肉をこめていさめるが、斜視の兵士は別に腹をたてるでもなく、頭を振ると立ち上がった。
「おい、どこに行く?」
「見回りの時間だ。あんたらみたいな連中とは話もできやしねぇよ」
そう云い捨てると、手燭にかがり火の炎を移し詰め所を出ると、誰をもともなわずに城壁の陰に消えた。手燭の淡い灯りが、じょじょに遠ざかっていく。それを見送る兵士たちは毒気をぬかれたように、もうダイスには見向きもしなかった。
「あいつ、入れこみすぎだぜ」
ひとりがむしろ心配そうにつぶやいた。
「さっさといくさが終わってくれりゃ、俺らは村にもどれるんだ。王様だの王弟殿下だの、どっちだっていい」
無精ひげはそう云って鼻をならすと、だらだらと立ち上がった。一同もぶつぶつ云いながら身体を起こす。
「ほら、お勤めの時間ですわ」「っくそ、まだ夜はあけねぇよなぁ……」「おいやめんのか?精算は?」「もういい、白けちまったぜ、今夜はご破算だ」「お前、負けてたからなぁ」「うるせぇ」
たいして熱心に手入れもされていない槍を肩にかつぐと、一同は詰め所から出た。
夜気はますます深くなっている。無精ひげの兵士はぶるっと身体を振るわせた。
城内の灯りはほとんどなく、街は眠りこんでいる感じだ。緊張感は感じられない。館では、ご領主が寝床でぬくぬくと眠りをむさぼっていると考えると、自分たちがわりに合わない無駄なことをしているような気になって、ひどくつまらない気分だった。
(俺らがいくらばか正直に見回りしたってよ、こんな満足に城壁もめぐっていないお粗末な城なんて、どっからでも入ることできるんじゃねぇかよ……)
自嘲ぎみにそう考えると、鍬とは感触が違い、いつまでもなれることのない物騒な得物をかいこんで、仲間の兵士らとしぶしぶ歩きはじめた。
彼の懸念は正しかった。
数日後、オルドロス率いる王弟軍の夜襲により、マロムはろくすっぽ抵抗もできずに陥落している。数少ない戦死者の中に、彼の名はある。もう二度と、生まれた村へもどることはできない。
(つづく)
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