「straight no chaser」
「――ってどーゆーコトよ!」達川のむなぐらをつかんでぶんぶん振り回しつつ、明日夢が叫ぶ。「何よあのウジウジしたオトコのくさった態度、あぁもうあきれた、マジうんざり!やってらんないって――って聞いてんの!」
「聞いてる、聞いてる、だから放せって、苦しい、叫ぶな、それから火を吐くな!」
明日夢は達川を離すと、生ビィルのジョッキののこりをごきゅっと一気に呑みほして、おかわりぃ!と叫んだ。久川、持田、柿本の3人はアタマをかかえた。
「キライになったって?……は!冗談じゃない、コッチからお断りよ!もう知らん!ノシつけて誰かにくれてやる、つーか死ね、マジ死ね、マッハで死ね!」
オカマのさとるさんが、30もとっくにすぎているのに、まるで少年のような愛くるしさでニコニコしながらジョッキを持ってきた。
「明日夢さん、呑みすぎたらいけないですよぉ」
「さんきゅ、心配してくれるのはさとるさんだけ~」
「ヤケ酒にムリヤリつきあわされてるアタシたちは、勘定に入ってないワケね」
久川が箸で焼き鳥を串から引っこ抜きつつ、むなしくつぶやく。
「内緒って云ったのに、意味なかったね……」
持田が達川に耳うちする。達川も憮然とうなずいた。
「人の気づかい、何だと思ってんだろねコイツ」
「でも秀虎君、キライになったってコトはさ、それまで明日夢のコト好きだったってコトじゃないの?」
人の悪そうな笑みをうかべる柿本。急に明日夢は、ふてくされたように黙りこくってしまった。その後ろで、達川がないないと手を振る。
「明日夢君はどうしたいのよ?あきらめるの?」
「だ~か~ら~、そんなじゃないって。これはね、礼儀の問題、礼儀!」
「礼儀って何だよ」
「仁義礼智忠信孝悌の義!」
「礼だ」
「そう、礼!わかる?」ものの見事に云いなおしやがった。「キライって云われたからアタシ、怒ってんじゃないからね。ひとりで勝手にふてくされて、理由も云わないって態度にアタシは怒ってんの!ふざけんなっての」
「えっと、みなさんわかってると思いますが、第2回明日夢会議の最中ですよ。建設的な意見をお願いします」
久川が気のない様子で注意をうながすが、明日夢はそっぽを向いてジョッキをかたむける。
「でも……」いぶかしげに柿本。「秀虎君、何で急にそんな態度とるようになったの?」
「わかんない。達川君、知ってんじゃないの?」
「オレが知るわけないだろ」
「役にたたないエロメガネだな」
「あ~の~な~」
「とにかくッ!あんな陰湿ネクラミドリムシなんて、つきあってらんない!」
「つきあってたか?」
「やさしくしてあげてたって意味!」
「……」「……」「……」「やさしく……?」
4人は何となく顔を見合わせる。
「こないだ、包丁で斬りかかったって聞いたけど……」「その後、強盗ごと階段から蹴り落した」「借金のカタに、待ち受けムリヤリ自分の写真にさせてるよねぇ」「オンナ連れこんだ時、乱入して邪魔してたし」「大体、コスプレで強引にせまってますが?」「やりたい放題ですな」「法学部、法的にどうなんですか?」「訴えられても文句は云えませんよ」「そーゆーコトしといて……やさしく?」
「……何か云ってる?」
サイコロステェキを焼き鳥の串で何度も何度もえぐりながら、明日夢は口をとがらせ、刃渡り20センチほどのドスのきいた声で訊ねる。
「いや、何も云ってないよ」達川がこれ以上ないってくらい誠実そうな顔で首をふる。「北森、君の云うコトはもっともだ。うん、全部あのバカが悪い。もうあんなヤツのコト忘れて、新しい恋に生きるべきだ。オレは遠く遠くはるか遠~くから君のコトを見守っていくつもりだよ」
「あんた、秀虎君の友だちのくせにそんな冷たいコト云っていいの!」
「どないせぇっちゅうんじゃ!」
「つーか恋じゃない、コレは仁義の問題だ!それからどさくさにまぎれてくどくな!」
「今のがくどきに聞こえたのッ!?」
「持田、ハナシがややこしくなるからやめとけ」
達川がげんなりとたしなめている間に、生おかわり!と明日夢がまた叫ぶ。
「お前いいかげんにしろ!」
「何よ、達川君まで秀虎のぶわっかのカタ持つの!あの態度、ふざけんじゃないって。あ~もうムカつく!」
再びむなぐらをつかまれ、がくがくと揺さぶられる。
「……だ~か~ら~なぜ~そんな~ハナシになるんら~?」
タイミングよく置かれたジョッキに、明日夢は手を離した。一気に半分ほど呑みほす。
「いい度胸じゃない。あくまであたしの善意を受けられないってんなら、考えがある」
「ちなみに、一応、念のために訊いておくけど、一体何をするつもり?……あ、いい、やっぱり応えないで、聞きたくない!」
久川が慌てて前言と両腕をひるがえしたが、明日夢はスワった眼でじっと凝視する。石の上の3年ともうちょっとがんばったような、なかなかに見事な座り様である。
「ふ~ふふ~、よくぞ訊いてくれました」
「いや~!お願い、応えないで。聞いてしまったら止める義務が発生するかもしれない、そんなのいや!」
かくも美しき友情。
「それはですねぇ……つまりその、ここでしゃべってしまったら元も子もないから……まぁともかく!きっちり説明してもらうし、秀虎が謝るまで絶対赦さない!……てコトであります!」
「要するに何も考えてないってコトね……」
久川はひきつったような安堵したような表情でつぶやいた。
「つまり何をするか、見当もつかないってコトだな」
達川が諦念したようにぽつりとつぶやくと、3人は呆然と顔を見合わせた。明日夢はそんな彼女たちの様子など、まるで気にせずにのこりのビィルをくわっと呑みほしてしまうと、どんとジョッキをテェブルにたたきつけた。
「……くっくっくっく、首洗って待ってろよぉ、熊谷秀虎……」
「うわあぁぁぁ、こんなに酒ぐせが悪いとは知らなかった……」
久川、持田、柿本は、なかよくまたアタマをかかえた。
* * *
「……ってワケだから、何とかしてよ、君の責任でしょ」
秀虎の前の長テェブルに逆向きに座ると、柿本は頬杖をついてなげやりに云った。第2回明日夢会議の翌日。講義前の移動時間のコトである。ちなみに明日夢君、本日は宿酔いで優雅に自主休講のご様子。
「……関係ないだろ」
無表情に応える秀虎。
「そりゃ、ないって云えばないけどさ、明日夢のからみ酒に付き合わされて、小鳥のように震えてるあたしたちをかわいそうだと思ってよ、ぶるぶる」
「……」
「何があったの?」
「……」
「は、黙秘?立場わかってんの?」
「柿本で3人目だ」
「何が?」
「そんな説教かまそうとしたヤツ」
「……誰?」
「久川と持田」
「……あっそ」柿本唯衣はにこやかに笑って立ち上がった。「ヒドイ目にあっちゃえ、バ~カ」
* * *
明日夢が置いた黒石を見て、秀虎は鼻の先で笑った。
「だ~か~ら~そのすぐツケるくせ、なおせっての、何でこんなトコに打つんだ」
明日夢はむっとして云いかえす。
長テェブルをはさんで対峙する秀虎と明日夢。場所は文化部サァクル棟の一角、囲碁同好会のせまい部室である。ふたりの間には黒白の石が並ぶ碁盤と、眼に見えない壁があるかのようだった。両者の間の冷たい戦争は、依然終結のきざしをみせない。みせないどころか、その壁ごしに放たれる砲撃は、日に日に破壊力を増していく。
「どうしてよ、ココ切られたら、完全にアウトじゃん」
「今は急がなくていいの。急所はコッチだろ」
盤上の一点を指で示しつつ、しかめっ面で応えた。
「だからコッチがおさまってないのに、どうしてもう右辺にトブのよ」
「ココのワタリが保険になってんだよ、これでシノげるんだから、問題ない!」
「はぁ?薄いじゃない。それでシノげるつもり? ナメてんの?」
「もっと大局みろ、どこが大切か考えろ」
「は!大局?」明日夢がわざとらしくため息をつく。「出た、いかにもな発言。そんな実力もないくせに」
「お前こそ、バカみたいに殴り合いしかできないくせに。碁ってな、そういうもんじゃないんだよ」
「きちんとケリつけないで、すぐ逃げ出すのって性格?真正面からやりあう気力ないもんだから、回って回って逃げ打ちばっか。ねちねちしつっこいのよ」
「石取りレベルが何ぬかす。幼稚園児だってもう少し考えるぞ!」
「うるさい、とにかくココが正着!」
「違う!」
秀虎は黒石を動かそうと指をのばすが、明日夢の方が一歩早く、人差し指で上からしっかりと押さえる。
「……勝手に動かさないでよ、そんな無礼なマネがゆるされると思ってんの?」
「指、ど、け、ろ」
「ケンカうってんの?」
明日夢の指を動かそうとして力を入れる秀虎。動かされまいと明日夢。ふたりの眼は意地に燃えていた。
「柿本たちけしかけたの、お前だろうが」
「何のコトよ、因縁つけないでよね、根性腐れ」
「腐れてんのはお前だろ、巨神兵、巨神兵、巨神兵!」
「ぶッ殺されたいのアンタ!」
凶悪な顔で、それでも場所をわきまえて極力おさえた声音の明日夢に、1年の藤江が顔をひきつらせて壁際まで後退する。部長の貞清と副部長の石黒はすでに避難している。
「先輩、あたし、ふたりが怖いです」
「オレもだ」貞清が冷や汗をかきながら、うなずく。「もうコイツらに打たせるのはやめよう……」
収拾がつかなくなったふたりに、3人が顔を見合わせていると、部室のドアが開き、眼鏡に丸坊主の軽量級の柔道選手のようなオトコが入ってきた。前部長の織田である。
「――ん、何やってんだ?」
持ってきた紙袋を藤江に渡した織田は、アッチ見ろと顔だけでうながす貞清たちの視線をたどる。ひとつの石を押さえながらにらみあうふたり――ではなく、盤上をちらりと見ると、いかつい顔をさらにしかめた。
「ソコはココ」
織田が碁笥から黒石をつまむと、ぴしりと置いた。
「……え!?」
全員が眼をむいた。指摘されて初めて気がつく急所だった。
「何やってんだ熊谷、お前ちっともうまくならねぇな。ソッチほったらかしにして、どこが急所もないだろ?どうせまた北森のなぐりあいに付き合ってんだろうけどさ、まったくお前ら、ちょうどいいヘタクソ具合だよな」
もう興味なさそうに、部屋の隅のカラァボックスに置かれた急須にお茶っ葉をざらざら入れはじめた。
「さぁお茶にしよ、お茶。砧屋限定販売の羊羹買ってきたから」
* * *
アパァトへのいつも帰路である大学の裏門にもたれかかるようにして、達川の姿があった。うんざりした。
「お前まで、何か文句あんのか?」
「お前の人間関係の傾向について、ひとこと云いたいコトがある」
冷たくそう云うと、達川は煙草をくわえた。煙がぼんやりとのぼり、未練がましく消えていく。秀虎ではなく、その煙に話かけるように達川は口を開いた。
「何か知らんが、自分のコトは自分で何とかしてくれ。お前、オレに迷惑かかってるハナシ聞いてる?」
「そーゆーコト云ってくるのは、お前で4人目だ」
「ならオレが最期か。どうする?振り上げた拳のおろしどころに困ってんだろ?」
「うるせぇ」
「ホントは後悔してんじゃないの、つまらんコト云っちまったって?」
達川の言葉は遠慮なく自尊心やら良心やらをえぐってくる。高校時代から、口だけは達者だ。憶い返してみれば、丸めこまれた記憶しかない。たまに爪とぎ板がわりにされてんじゃないかと勘ぐりたくなる。悔しいことに、云っていることはまあまあ正論だ。振り上げたこぶしを、どこへおろしたらよいのかわからないってのも事実だ。
「何もかも、投げ出してしまうつもりか?」
秀虎ははっと顔を上げた。今まで見たこともない冷ややかな達川の表情だった。言葉が出なかった。
明日夢をあの場所へつれて行ったことにも、思わずあんなつまらないセリフを口にしてしまったことも……後悔はない。それはホントだ。あるのはむしろ自己嫌悪だ。だがすでに吐かれてしまった、のどがひりつくような言葉を冷ます魔法はない。自分でもよくわかっている。
「もうひとつ、お前に云いたいコトがある」
達川はさらにおごそかに話しかける。その重々しい口調に、秀虎はうさんくさそうににらみつける。
「下ネタなら聞かんぞ」
達川の口がそのまま停止した。眼が泳ぐ。
「え……と……」
「やっぱりかい」
(了)
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