【Ⅰ】
イオという国がある。
イーステジアの東方に位置し、建国はおよそ250年前。帝国にくらべて比較的新しいがそれでも十余代を重ね、東方ではヌアールと並ぶ強国である。
西にクロァ湖、北に峨嵋峻険たるペルべスの山脈がそびえるイオニアの野と呼ばれたかの地は、起伏が少なく気候は温和にして潤沢で、古より豊饒の地として知られていた。
この地には、かつて大きくふたつの部族が盤踞していた。シナグ族とミルド族である。この他にも小部族はいくつかあったようであるが、両部族の間で細々と長らえ、あるいは歴史の中に消えてしまっている。両部族は、ともに南方人とはまた違う、東方人特有のあさ黒い肌く彫の深い顔立ちと黒髪を持ち、きわめて近しい習俗を持っていた。イーステジアには、おそらく同一の部族にみえたであろう。
にもかかわらず、いやあるいはそれゆえであろうか、両部族は融和することをいさぎよしとせず、イオニアの地にて互いに覇をあらそいつづけてきた過去を持つ。まさに“牡鹿の双角は並びがたし”である。
その数百年にわたる両部族の抗争に終止符を打ったのは、西方よりの力であった。
すなわちイーステジアの伸張である。
その伸張、併呑はいかなる摂理を以ってしても、容易には解しがたい。往々にして“神々の息吹き”と称されざるをえない、名状しがたいうねりであった。
そしてそれは、概して神々に象徴される。帝国の版図の拡大は、すなわち神々の拡散でもあったのだ。
イーステジアの中枢であるイースター人をはじめとするロマエ半島諸所の部族は、運命神パーンや太陽神パオロンなど、あまたの神格を有する。彼らはまるで捨て猫に片っ端から名をつけていくがごとき熱心さで、万象ことごとくに神々を“創造”する素朴な神観を持っていた。これはこの地一帯が温暖な地であり、自然の猛威よりも恩恵の方が感じられたからであろう。
イオニアやヌアールの地では、豊饒女神シュペールが主に信仰の対象であった。イーステジアとの対峙の中、いつか両者の神々は融合していき、同名の神が帝国の同質の神を内包し、あるいは解体され新たな神格へと生まれ変わり、しつらえた神々の座に居座る。これはノイマンド大陸の北方や西方、ベルセーヌ大陸の東方といった帝国周辺では往々にみられた現象である。
そのためイースター人たちの信仰していた素朴にして単純であった神々は、いつのころからか諸国の神々と互いに分かちがたく、その祖形すらも記憶の彼方に追いやられた観すら往々に見受けられる、おおいに矛盾のある奇妙に併行した複雑きわまりない体系となっていく。
かくして神々の世界はせまくなり、その圧力に耐えかねるようにして、さらに拡張がすすむ。帝国の版図の拡張とともに神々の可住域も広がったが、それはまた変容が課せられた歴史でもあったと云えるだろう。
黒曜暦500年代、レーヴルの総長をつとめたサーレイは、自著の中で「神を見よ、神々の遠征を見よ、帝国のすべてがその足跡の中に記されている」と語っている。
けだし名言であるが、同時に拡大する版図への満々たる野心がのぞいており、象牙の塔の隠者たる彼のような人物をしてそのような言葉をはかせること自体、領土欲はもはや帝国の本能とでも云うべき厄介なしろものであったようだ。
まったく……この時期の帝国人の稀有壮大さときたら、筆にもつくせぬ。
だがその旺盛な領土欲に直面させられる者たちにとっては、厄介どころの話ではない。
版図の拡張にともない、周辺諸族を併呑していくイーステジアの歴史は、想像を絶する貪婪な食欲を持つ巨大な大蛇のごときものである。ふたつの大陸を呑みこまんとするその力は、一部族ごときが止められるものではない。
東方を侵すその圧力に抗するために、シナグ族とミルド族は長き抗争を捨て、仇敵と融和する道を選んだ。 これがイオの創まりである。
だが傍からみると、必然的とも云えるこの融和であったが、実は当事優勢であったイオニアの地一帯の東半分に勢力を持つシナグ族主導によりすすめられたものであり、都こそは両部族の中間に位置するアンドレードに置かれたものの、国としての主宰はシナグ族が重きをしめる結果となった。
非勢であったミルド族にとっては、イーステジアを口実に使われた、体のよい併呑であったように感じられたことであろう。
かくして遺恨がのこった。一見政情は安定しているようにみえるイオであるが、建国より250年をへてなお、底流に宿る遺恨は、完全に失せてはいない。
イオは建国の時から、東西に二分していがみあう不毛なさだめを持っていたのである。
ミルド族はクロァ湖に面した北西部一帯カスバルを根拠としており、現王マリウスは王弟のユリウスをこの地に封じた。
穏健派であったマリウスのミルド族懐柔のためであったが、これが裏目に出た。王弟の、王位に対する執着を軽んじていたのである。
黒曜暦901年、イオ暦では245年の冬、カスバル公ユリウスは兄王に対して、叛神シグリウスの赫い弓を引いた。周辺諸侯もこれに呼応し、かくしてイオは国を二分する内乱へと突入することになる。
後に「イオ大亂」と各国の年代記に記される内乱であった。
* * *
イオの宰相ベルンは小卓に広げた書状を凝視したまま、沈思していた。60すぎの宰相のしわの深い風貌、豊かな白髭、長く重たげな白眉は、彼を年齢以上に老いてみせていた。
庭園に面した王城の一室である。初冬ではあったが、この日の陽ざしは暖かくやわらかく、大きく開け放たれた窓からの風も冬のそれとは思えぬ。
ちなみにこのころ、イーステジアのユスティアヌス4世はいまだ存命である。この新帝が不慮の事故で落命し、ふたつの大陸が驚愕するのは、今少し先のことである。
差出人はマールであった。王の宰相と王弟の家老職。今でこそ立場は違えど、40年以上の長きにわたり、ともに国事に奔走してきた仲である。信をおけるとしたら、互いをおいて他にはおらぬ。
王弟ユリウスの嫡子ハデスが、王命によりホントの大使ボルヘスに拘束されたこと、そして本国への護送途中に行方がわからなくなっていることが記されていた。ベルンのあずかり知らぬことである。
先日――王に訊ねた。詰問に近いものであった。王はかたくなに否定したが、そのようなことを為すには王の命令書が必要だ。署名も必要である。知らぬはずはない。おそらくこの企てには王の意思もくまれていたことを、ベルンは確信している。
以前にもハデスを暗殺する計画があった。これはマールにより事前にふせがれている。ことがことなだけに、さすがに表へ出すことはできず、内々で処理せざるをえなかった。ことにあたったホントの書記官は、帰国後、病死をしている。
現王マリウスは、このようにものごとを暗々裏に処したがる陰湿な面がある。ことに王弟と関連があれば、なおさらそれに拍車がかかるようだ。
だが王子であるハデスをホントへ赴任させ、父であるユリウスと引き離しても何にもならない。さらにその上、秘密裏に危害を加えようなど、どうしようもない。確執を強めるばかりだ。そもそも王自らがそのような陰事にかたむくのは、ほめられた傾向ではない。
王と王弟。国を二分する争いの当事者は彼らである。両者とも、その本質から眼をそらしているだけなのだとベルンは思う。だから安易に流れたがる。たしかに王たる者、その決断はきれいごとだけではすまされぬ。どす暗いものを抱えこんでも、鷹揚に笑ってみせねばならぬ。しかしそれも時と場合によるのだ。王自らが確執の種をまいてどうするのだ。それは王のとるべき道ではない……
「宰相閣下――」従者が伺候しておとなう。「参議の方々がお集まりになりました。まもなく評議がはじまります」
ベルンはうなずくと、書状を丁寧にたたみ、かくしへ収めた。
ちらと西の空へ眼をやった。おだやかな午后の陽ざしではあったが、その彼方で勃興したものの禍々しい気配が、ここアンドレードにまで到達したかのように彼には感じられた。
遅すぎた。何もかもが遅すぎたと思う。否、手遅れであると歯噛みするのであれば、王とその弟との確執を止めることができなかったこの20年という時は、すでにいつだって手遅れであったのだ。
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