【Ⅶ】
「あきれはてたぞ!」
参議院より退室する回廊で、カスバル派閥の重鎮たるシベリウス公の怒気はとめどなくほとばしり、その激しさに従う従卒たちの方がはらはらするほどであった。
先刻までの参議の場は、彼にとって茶番にすぎない一幕であった。シナグ族の参議ども、こたびの擾乱の責任を、どの面さげて王弟のみに押しつけるつもりなのだ!ミルド族の不満は建国当時からのものであり、それを解消できない責任は王の側に大きいと彼は考える。そもそも王弟のカスバル封土といったみえみえの懐柔策で、宥和などとうそぶかれても片腹痛い。
その一方で、カスバル大公ユリウスの無能さはどうだと憤る。封土前の評判の悪さはともかくであったが、実際に何度も対話してみて、やはり度しがたいと距離を置いて、シベリウスは長い。取り入る者も少なくはないが、その連中がユリウスを無責任に持ち上げて、このような取り返しのつかぬはめにおちいらせたとしか思えぬ。
彼自身、この事態にまったく光明を見出すことはできない。まかり間違っても王弟側に勝機はないように思えるし、そうなればカスバルの自立自尊の意思も、強烈にくじかれるだろう。何もかも無茶苦茶になる。王も王弟もいいかげんにしてもらいたいというのが本音であった。
いらだちとともに院の内門を出る。いらだちは脚早となっていたため、他の参議たちはまだ誰もいなかった。馬車に乗りこみ背もたれに身体を深々と沈めると、シベリウスはどうしようもなく太い嘆息をした。
馬にむちが入り、ぐいと身体が押し出されるような感覚があった。為すべきことが、瞑目した脳裏にあらわれては消える。どれもこれも現状を打破することなど、とうていできそうにない。事態は袋小路に入っている。収束できなければ、カスバルの将来は暗い。シナグ族による融合は、やがてカスバルを呑みこんでしまうだろう。
ここアンドレードの空気も殺伐としているように、彼は感じた。とげとげしい、不安を隠した空気だ。
何とかせねばならない――と苦悩と焦りはつづく。
だが……その苦悩も焦りも、彼は知らぬが長くつづくことはない。自身の命数が尽きる時が眼前にあり、この馬車行がついにそのまま死出の道行きとなったのである。
不在なり――前線のモルからベルンのもとへとどけられた書状には、そう記されていた。
戦場に、そしてカスバル大公ユリウスの郡都エウラリーアにも、公子ハデスはいない――これが意味することは一体何か?
(なぜだ……?)
王宮内の自室でベルンは沈思する。歳若ゆえ戦場に出ていないというのなら納得できるが、しかしまったくゆくえがわからぬというのは妙である。ならば、どこにいるのだ?なぜ姿が見えぬのか?
これが別の者であれば、ベルンもはかりごとを疑ったかもしれない。しかし元服がすんでいるとはいえ、まだ少年といってよい歳である。ハデスは以前アンドレードの王宮に居留していた時期がある。ホント公使としておもむく前である。聡明ではあったが、温厚な少年であったとベルンの印象にのこっており、今のところおよそ謀事にかかわることができるとは思えない。
ベルンには、ハデスの不在がシュペールの掌からこぼれた、ひとつぶの麦のように気になってしかたがないが、これがまったくの不慮の事態によるものだとは、さすがに思いいたらない。
考えこむベルンの耳に、室外の騒々しい気配がとどいた。いぶかしげに顔をあげた時、執務室の扉向こうから伺候する声がした。
蒼白な顔色で入室してきた官吏が、参議のシベリウスが帰城中、何者かに殺害されたことを狼狽しつつ伝える。ベルンは激しい舌打ちとともに、手にしていたモルからの書状をいまいましげに執務机にたたきつけた。
「どこの莫迦だ!」
「数名の者に馬車を止められて襲撃されたもようでございます。生きのこった従者が証言いたしましたが、何者のしわざかは不明です」
官吏は額に汗をかきつつ、それでも明瞭に報告をした。ベルンは深々と椅子に身を沈めたままであった。白髭をまとった老顔は重苦しく、けわしい。老宰相はわずかに沈思していたが、すぐに立ち上がった。肩衣をまとうと、王の元へと脚早に執務室を後にした。事態がもはや容易に収束できるようなものでなくなってしまったことを、痛感していた。
シベリウス公の暗殺により、ミルド族の反シナグ熱が一挙にたかまっていった。まずシベリウス公の本拠であるカスバル北方の主要都市ハイメで、市民の大規模な蜂起がおこった。庁舎がのっとられ、郡代らおよそ20人が吊るされる。さらに東方の土豪がつぎつぎと叛旗を翻す。擾乱はイオのほぼ全土に拡がり、諸侯は王側と王弟側とに二分し争うこととなった。
カスバル以外での叛乱に、王宮は揺れた。王側の諸侯を動員して鎮圧にあたらせるとともに、各地に鎮撫軍を派遣した。
戦況がめまぐるしく変化していく。
* * *
その日、ホントのカスバル郷士館の館長をつとめるゲイツにとどけられた書状の差出人の名を眼にしただけで、小心かつ老獪なこの男は、熱い石でもつかまされたかのように掌から放り出した。レーヴルへ行ってしまった、憶い出すのもしゃくにさわる、あのかわいげのない姪っこから、このように便りがあろうなど考えてもみなかった。
まさか金の無心ではあるまいな……と吝嗇家にふさわしい警戒をしつつ、いやいや封蝋をはがし中の書状をひらく。
しばし固まる。
もう一度読み返す。いや読み返すまでもない。ほんのふたことみことしか記されていないその書状。
(何だこれは……)
ゲイツは呆れた。何を大仰に書いてよこしたかと思うと、このようなわかりきったことを……
とたんにばかばかしくなった。
おおかたレーヴルの学院にこもって本でも読みすぎたために、世の中のことがわからなくなったのだろう。ふん、これだからなまじ頭のできを自慢しているやつは……引きこもって、毒にも薬にもならぬ書物を好きなだけ読みあさっておればよいのだと腹の中であざ笑ったゲイツであったが――後日彼は背筋が寒くなる思いを味わうこととなる。
あの少女が世間を知らないなど、とんでもないことである。彼女は学院の自室に居ながらにして、数千フリートも離れた故郷のことを、掌の中のできごとのようにやすやすと感知していたのだった。この郷士館のせこい館長は、そのことを理解できなかっただけだ。
それどころか、彼女はゲイツが自分の言葉を黙殺することすらも予想していた。にもかかわらず、彼女はあえて伯父の元へ書状をとどけた。老いた父や姉たちがいる故郷ではあったが、彼女にとってその土地は捨ててきたものであって、もうどうでもよいことである。しかし学院に入って俗世と縁をきったつもりでも、とやかくついてまわる縁故の義理は、彼女にとってうっとうしいもの以外の何者でもない。彼女としては、これで義理ははたしたつもりである。自分の言葉を進言すべきところに持ちこもうが無視しようが、後は伯父の勝手である。
だがそれを本国のしかるべき筋(レーヴル留学時に仲立ちをしてくれた、それなりの有力者がないわけではない……)にではなく、伯父に伝えたあたり彼女の意地の悪さがある。
(つづく)
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