【Ⅴ】
戦塵が散りきらぬ夕刻である。冬にめずらしい夕焼けが空を朱にそめ、甲高い鴉声が響く。
「いよう、オルドロス殿、たいそうなご活躍でございましたな」
キーブルの場外で野営の指示に余念のないオルドロスの元へ近づき、半白の髭が顎をおおっている大兵漢が陽気に声をかけてきた。バルバジア一帯を領有するゾーイ。今回の戦役で王弟側に加担した土豪たちの中では、指折りの大身である。そのため身体もでかいが、それ以上に発言力もでかい。キーブルに結集した王弟軍の主将で、ユリウスの岳父であるアドモス公のことなど、鼻もひっかけない風がある。場外の野営地に戦衣ではなく平服なのは、豪胆なのかやる気がないのかは知らないがおそれいる。
一方、その日のいくさで先鋒をつとめたオルドロスは、いまだ先刻のいくさの風を身にまとっているようだった。堂々たる体躯、漆黒の髪を短くまとめ、顎のはった岩礁のように無骨な顔にうっすらとのこるいく筋もの傷跡は、歴戦を物語る。カスバルで知らぬ者のないユリウス旗下のこの猛将は、しかし皮肉なことに生粋のアンドレードっ子であった。
軍は場内にはもどらない。ひとたび入ってしまえば、鎮撫軍は城を包囲をしてしまうだろう。そうなれば甕におしこめられてふたをされてしまうようなものである。要地であるキーブル城を護る意味はなくなってしまう。何より怯惰の印象を与えてしまう。ここは意地でも城にこもることはできない。城外で野営である。
「たいしたことのない。いくさ自体は敗け模様よ……」
言葉少なに無表情で応えるオルドロス。
「オルドロス殿はかなりモル公にご執心の様子だが、どうだったかな?」
あからさまないやみとわかるのだが、顎髭をなでつつ妙ににくめない表情でゾーイが訊ねる。
「残念ながらそこまでもたどりつけませんでした。周りの連中にあしらわれて終わりです」
他人事のようなオルドロスの応えも、本人が自覚しているのかしていないのかは不明ではあるが、どこか諧謔の風があった。
「いやいや、やはり兵の数ではどうにもなりませんな」
「兵を出し惜しみした貴殿に云われる筋合ではございません」
「それがしは二陣として展開しておりましたぞ、出し惜しみとは失敬な。先鋒の結果いかんで前にもすすめば後ろにも退がる。それがしの兵がひかえていたからこそ、無事に退却ができたのをお忘れか?」
ゾーイはにやりと笑ってみせたが、退却で役にたつばかりでは意味がないわ……とつぶやきつつオルドロスは渋い顔をくずさない。
「それがしにそうきつくあたるのは、貴殿ぐらいなものだ」ゾーイは笑い声をあげた。「だがま、気落ちされることもないだろう。兵力の多寡はわかっていたことだ。予定どおりだ」
「それがしは、気にいりません」
「ま、搦め手から攻めるいくさもあるということよ」
オルドロスの渋い表情が、さらに不機嫌となる。おもしろくない……と眉間のしわがこれみよがしに主張していた。オルドロスの不快も忖度せずに、ゾーイは快活につづける。
「ユリウス殿下は、これまでないがしろにされてきた我らミルド族の意をおくみあげくださる方だ。我らはそう信じている。だからこそこうして結集している」
本音かどうかは知らぬが、将兵たちの面前であることも気にせずに肩でも抱きかねない顔でそう云うと、ゾーイは城門の方へきびすを返した。オルドロスはその広々とした後姿をうさんくさげな眼でにらみつける。
* * *
上から下までひとつになった、東方独特の余裕のある室内着をまとい、片肘をつきゆったりと座しているのは、王弟ユリウスであった。
カスバル一帯で最大の街エウラリーア、イオの王弟にしてカスバル大公ユリウスの居城であった。
その風貌は兄たるマリウス王によく似る。王弟ユリウスと直に向かい合えば、まずそのような印象を受けるであろう。堂々たる獅子鼻。権高く突き出た顎。薄い眉宇の下の瞳は暗い茶色、王の顔の下半分を飾る濃い栗色の髭がなくとも、非常によく似ていることは誰の眼にも明らかだ。
ユリウスの私室である。さかんに燃えあがる暖炉の炎が室内の夜陰をゆらす。酒杯から手を離すことなく、脇卓に供せられた好物の川魚のくさい酢漬けを時おりつまむ。
「キーブルでのいくさは、いささか分が悪うございましたな」かたわらに伺候する側近が他人事のように云う。「先鋒のオルドロスがロイズ騎士団と、まぁ互角にはわたりあったようですが、その他の連中はよいところなしだったようです」
「しょせんは寄せ集めか……」
ユリウスはつまらなそうに、なげすてるように云った。それを上目づかいで見やり、側近ウース・リンドレイはもっともだと云いたげな表情でうなずく。頭頂近くまで額が広がるが、髭をもたない顔は痩身のくせに、つるりとむけた卵のように血色がよいため、歳のころがはかりにくい男である。眼だけが常人よりも大きくよく動く。
「こたびのせめぎ合い、諸侯はどうみるか?」
「報告のとおりでは、日和見をきめこんでいる連中も容易には動きますまい」苦笑するようにリンドレイは云う。「天秤にかけている者も少なくないと思います。ひとたびこちらが有利と知れば、なだれをうつように与するでしょうが……しかし、いささか……やはり力押しではむずかしいようでございます」
「……ふん、いい気なものだ。どうにかならぬのか?」
「尻の重い土豪どもを引き入れられぬかと、あたりはつけております。何名かは条件次第では話にのってもよいとの感触をえておりますが……」
「見返りは?」
「法官か、それと参議を求める者が多いようでございます」
「強欲者め!やれやれ……参議の座を欲しておる連中だけで、近衛の小隊ができてしまうぞ」
いまいましげに杯を干すユリウス。
* * *
イオの王弟ユリウスのことについて、いささか語る必要があろう。王の実弟という立場でありながら、イオという国をひっくり返そうとし、そして実際には彼の思惑とは異なる形ではあったが、累卵の危機におとしいれることになる人物である。
騒乱の舞台となっているカスバルは、イオの北西部一帯にあたる。西はクロァ湖に面しており、その彼方にはイーステジアの雄領クロシアが版図する。クロシアとの行き来は、北のペルべスの山脈とクロァ湖とにはさまれたカニシアヌムの狭道と呼ばれる狭隘な湖畔ぞいの道のみである。イーステジアへおもむくには、エスタス海を航海する他は、この地を通過するしか道はない。この地は、帝国の侵攻を一身で受け止める要衝の地なのである。
カスバル一帯で最大の街エウラリーアが、イオの王弟にしてカスバル大公ユリウスの居城であった。西のクロァ湖にほど近い。封土されて以来、王弟ユリウスはここエウラリーアの居館を整えてきた。
アンドレードのマリウス王やその重臣、さらには実子のハデスや家老のマールの口からいくどか語られたこの人物は、常にその資質を疑われていた。ことにハデスなどは実の父でありながら「豚の背脂のように愚鈍……」とまで苦々しげに評している。
しかし若かりし日には、長子たるマリウス王子を退けて次王へ――という動きがあった事実はどうだ?実際のところ、多くの証言のごとくの人物なのか?
――さる年、カスバル一帯は記録的な豪雨に襲われたことがある。その年の収穫はみこめず、領民たちは子を奴隷にでも売るか、逃散するしかないと嘆くしかなかった。ことに、とある地域の被害が甚大で、郡太守はユリウスへ救援を求めた。ユリウスはすぐさま、カスバルの郡都の財政を揺るがせかねない支援を約した。
しかし被災したのはその地域だけではない。おおげさなたとえではあるが、カスバル一帯が泥土につかったのである。そこへ一地方のみへの支援が約された。当然他の者たちはおもしろくない。同様の支援を求めて声高に叫んだ。
はじめは神妙な顔をして聞いていたユリウスであったが、徐々に不機嫌となっていった。無理もない。先に約した支援だけで、金庫は空になりそうだからだ。
矢のようにくりかえされる催促に辟易したユリウスは、とてつもない発言をした。
「こたびは我慢せよ、次にかような事態があらば、諸公らを優先する」
(つづく)
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