【Ⅲ】
「やれやれ、おっぱじめてくれおったよ、ユリウス殿下」
審議が終わり、重臣たちは散会する。最期に遅れて部屋を出つつ、そこにモルが屹立しているのを見て、大仰に首をならしつつ皮肉な口調でそう云った。モルはベルンと並んで回廊をすすみつつ、無言でうなずく。
歳のころは40前の偉丈夫であった。イオの色である浅葱色のマントを瀟洒にまとっている。整った伊達男ぶりは、艶福家として名高く、騎士の名門であるがいまだ妻帯しておらず、常に複数の愛人がいるとの噂は宮廷内にかまびすしい。黄褐色の髪は堅苦しそうに短く切りそろえられ、武人としてはむしろ端正で柔和な風貌を持つが、強剣士の尊称であるレェを冠される屈強の騎士である。ベルンのみるところ、剣士として彼に比肩しうる騎士は、イオに何人もいないだろう。
「万が一を考えて備えておくように各所に通達はしておったが、まさかこれほどの諸侯がユリウス殿下側につくとはな……」
「各地の詳報はまだですが、どうやらカスバルを中心に北西部一帯のかなりの諸公が、王弟殿下へ加担したもようです。ゾーイにクローマ公、ザルツ公もユリウス殿下側です」
「それだけの連中がユリウス殿下に与したとは、正直信じられぬ……」
会議と同じ台詞を、再度ベルンは口にする。
「ユリウス殿下をいささか甘くみておりましたか……いやな予感がします」
「いや……」
口を開きかけて、そのまま閉じてしまったベルンが眉をよせしばし沈思する。モルは口をはさまなかった。歩きながらのかなりの沈思があったが、やがて白髭の老宰相は考えごとのひとかけらだけを引き出すかのように、ようやく口を開いた。
「それだけではあるまい、不自然だ。殿下としても、このような事態は当然予定のうちであったろう……何か裏がある……お主、このいくさどう思う?」
「……長引くかもしれませぬ。クロシアやヌアールの動静も気にかかります」
「来夏の冬麦の刈入れまでにけりをつけねば、国庫も逼迫する。このようなことで、いつまでもごたごたするわけにはいかん。柵の扉を閉めたら、羊の群れはとっくにいなくなっていたようなことには、ならぬようにせねば」
なかばひとりごちるようにつぶやくと、ベルンは話を変えた。
「ご幼少のみぎり、マリウス王には吃音の癖があってな……そのため、そのころはむしろユリウス殿下の方が、ご聡明にみえることがあった。一部にはユリウス殿下を後継にという話もあってな、実際、先王陛下もそのような意図を表されたこともあった」
「そのような話は聞いたことがございます」
「だが10代半ばには、陛下も吃音がすっかり失せ、そのような意見も霧消した。しかしな、ユリウス殿下はそのころの甘い立場を、いまだ忘れられぬようだ」
無言でうなずくモル。
その視線の先に、両者はひとつの人影をみとめた。回廊に差しこむ木洩れ陽は、その人物のなかばを影としていた。歳のころは20代半ばであろうか、女にしてはずばぬけた長身が、軽装ではあったが甲冑をまとっていた。イオ人特有のあさ黒い肌であったが、いささか鋭すぎるきらいはあったものの、整った顔立ちである。燃えあがっているかのような、息をのむほどに見事なくせのある赤毛は、男とみまがうばかりに短くまとめられていた。
イオに名高い“赤毛のレドメイン家”の代騎士ゲルダ――近衛軍の一、後宮警護を専任とする娘子軍の副長を務める。
ゲルダは抱券してふたりに頭を下げると、
「モル様、こたびの出陣には、ぜひ私奴も陣容にお加えください」
「莫迦を云うな」
呆れたようにモル。
「モル様も私の立場をご存知でしょう。無為に録を食むことなど赦されません」
「む……」
モルは複雑な表情をし、ちらと傍らのベルンを見やる。
レドメイン家は代々上騎士を務める名家である。しかし現統主であるゲルダの兄は虚弱であり、その任に耐えがたい。そのため彼女が代騎士として務めている。本来出仕すべき騎士が、その重責に耐えられずに代理を伺候させていることは、武門の名家であるレドメイン家にとって恥ずべきことであろう。彼女の桎梏である。
そのあたりの事情は、モルも耳にしている。だが彼の立場としては、いかに懇願されたとて、近衛軍に属するゲルダを勝手に征討軍に組み入れることはできない。第一、彼は婦人は愛でるものであると考える。
「お主の腕は承知している。しかし女がいくさ場へ出入りするものではない。お主には王妃や姫君をお護りするお役目がある」
生まじめに首を振るが、ゲルダは涼しいものである。
「姫様にはお許しをいただいております。武功をたてて帰ってくるのを、楽しみに待っているとのおおせでございました」
モルは手に負えないと云いたげに天を仰いだ。ベルンが笑い声をあげ、ごく軽い調子で云ってのけた。
「よしよし、ブレア将軍と近衛の長には、私から云っておこう」
「ありがとうございます」
「なんのなんの」
ご満悦である。
「宰相殿、ご婦人が野遊びをするのとはわけが違いますぞ」
苦虫をかみつぶしたようなモルの抗議を、ベルンは手を上げて制した。
「かたいことを申すなモル。ゲルダ嬢にも事情があるのだ」
「嬢などと云われる歳ではございません」
「お主の家とは代々の付き合いだ。お主など孫のようなものだよ」
「からかわないでくださいベルン様。これでも嫁いだこともございます」
居心地が悪そうに、ゲルダは眉をひそめた。モルは憮然としている。ベルンは両者の思惑など意に介さずつづけた。
「さてさてちょうどよい、どのみち誰ぞに頼もうと思っておったが、お主らならば間違いはなかろう」
「何でしょう?」
「前線におもむいたならば、ハデス殿下の所在をつきとめてくれぬか?」
「……と申しますと?」
いぶかしげに眉をひそめるモル。
「ユリウス殿下の軍勢にハデス殿下がおられるかどうか、確認をしてくれ」
「いかがされたのですか?」
ゲルダの表情が険しくなっていた。
「香都で行方が知れなくなっておる。まるで事情がわからぬのだ」
「一体……まさか?」
モルの表情に驚愕がうかんだ。
「王がかかわっておられる……かもしれぬ。とにかく殿下は四位の継承権をお持ちだ。早急に安否を確認せねばならぬ」
回廊から初冬の庭園に眼をやると、木漏れ陽はいつか傾いていた。ベルンはその陽射しの傾きぐあいを、刻みつけるように見やった。
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