【Ⅵ】
勝利の感慨はなかった。立ち会ってみて、初めてピウスの技量を知った。それははるかに積み上げられた研鑽の峰であった。それは今の自分などが容易に越えうるものではないと思った。それは何という豊潤な剣配であったろうか。感動すらおぼえた。
この勝利が僥倖以外の何者でもなかったことを、ユースチス自身が知っている。
ピウスが動いたと感じた時には、自身の身体も動いていた。剣風を感じたのは、かろうじて憶えている。その瞬間から後のことは、自らの身体内に生じたまばゆい閃光の中にしかなかった。
彼の胸元の激痛と脚下に横たわる剣士の亡骸だけが、その刹那を物語っていた……
気がつくとピウスの2人の立会い人がかたわらにいた。さきほど3人の男たちをやすやすと斬った剣士に、ユースチスは思わず身構えかけたが、身体が云うことをきかず、よろめいた。しかし両名とも大刀に手も掛けようとしなかった。
「お見事」
年長の方の立会い人が、素直に賞賛する。微塵のふくみも感じられない。この決闘の価値を本当に理解している者の重みがあった。
「あの連中が、お主の意向じゃなかったのはわかっている」
そしてユースチスのかたわらに膝をつき、亡骸に瞑目をすると、低くつぶやいた。
「剣を握って逝くとは……あなたにふさわしいですな……」
ユースチスは大刀を収め、よろめきつつも憮然ときびすを返す。若い黒髪の立会い人が、彼の背中を注視しているのが感じられた。
自身の立会人のもとへ歩みよる。シュメリアーヌス家よりの2名の立会い人の顔面は蒼白となっていたが、特にうろたえた様子もない。
「……なぜあのような真似を?」
憤怒を抑えつつ、低く詰問する。
「お主が当家の剣術指南として仕官することは、すでに他家にも伝わっている。万が一にでも不覚をとってもらっては、当方が迷惑だ」
苦虫をかみつぶしたかのような様子で、片方の家宰が応える。
「私を信用しておらぬのか?」
「信用云々ではない。そもそもお主の私情による決闘をみとめてやり、その上推薦したバスキン公の顔をたてて、この私が立合いまでしてやったのだ。むしろ感謝してもらわねばならぬ」
嘲るような一言であった。
「貴様ら……」半面がどす黒い血に染まったユースチスの顔が、怒りに燃えた。「仕官の話は、お断りいたす……」
ユースチスの怒りに圧倒され身じろぎしつつも、両者は居丈高に云い放った。
「……その方がよかろう。お主は当家の家風とは合いそうにない」
しばし無言で対峙をつづけていたが、やがてユースチスは傲然ときびすを返した。
地に伏すピウスの亡骸に悲痛な視線を向け、マールたちに抱拳をして深々と一礼をする。顔は怒りと失望とに歪み、半面には凄まじい刀傷が刻まれ、身体中が血に染まっていた。決闘を終え、そして勝利した者には見えぬ敗北の気配に包まれていた。
ユースチスはそのままもはや決闘の場を振りかえりもせずに、疲弊しきった身体を引きずるように立ち去っていった。
シュメリアーヌス家の両名はようやく殺していた息を吐き、肩の力をぬいた。額には汗の玉が光っていた。
彼らがユースチスが立ち去ったあたりに侮蔑の視線を向けた時、ネロスが声をかけた。
「遵剣府に届け出をされよ。この決闘は正当なものだ――つまらん思惑で、これ以上両名に恥をかかせるなよ」
その声に一瞬鼻白んだが、両名は応えようとしなかった。彼らはかたわらの潅木につないでいた乗馬の手綱を解き、鞍にまたがると、マールたちにはもはや一瞥もくれようともせずに、一鞭くれて決闘の場から立ち去っていった。
遵剣府とはホント内での私闘を取り締まる役所である。剣士たちの無駄な流血沙汰を抑えるために設けられており、通常は申しこんだ方が、正当な決闘であるとの裁可を受けるのが剣士のたしなみである。これがなければ、へたをすると司法の厄介になりかねない。もっともこれは儀礼にすぎず、実際は無実化をしているのが現状であるし、事後の届けでも充分であるが、シュメリアーヌス家ほどの大家の者がかかわっているとなると、瑕疵のないように処置をしているはずである。
ネロスもそれをわかっていて嫌みを云ったのであるが、彼らの様子からどうもそれもあやしいものだと考えた。
「まったく何様のつもりだろうね」
鼻の先で嘲笑うと、今度は奥の木立に眼を向けた。3人の男が潜んでいた木立だ。その表情から笑いが消え、意外な鋭さであった
しばし凝視していたネロスであったが、やがて草地に横たわるピウスの亡骸に眼をおとした。亡骸の腕はマールによって胸の前で組まれ、相貌にはすでに生者とは異なる穏やかな幽冥が深くおとずれはじめていた。
マールは片膝をついたまま、悲痛な面持ちであった。ネロスは小さくため息をつくと、居心地が悪そうに頭をかく。
「エートスも哀しむであろう」
顔も上げずに、マールがぽつりとつぶやく。
「……あの爺さんも剣士に仕えているのですよ。これぐらい覚悟の上でしょう」
ピウスは妻子もなく、エートスと云う年老いた下男をそばに置いているのみである。しかし剣神マラキアンなどとならぶホントに名高い剣士である。都中に彼の弟子や後援者たちは多い。葬礼や道場のこれからのことは、彼らがつつがなく差配するであろう。ネロスたちの出る幕は終わったのだ。
「お主はこれからどうするのだ?」
「俺は居候です。次の寝床を探さにゃならんですなぁ……さて荷馬をとってきますか。早く亡骸を道場にもどさねぇと、夜になりますよマール殿」
「……待ってくれ」
ようやくマールが顔を上げた。悲痛な表情の中に、何やら昂ぶった感情があった。ネロスはいぶかしげに眉をひそめた。何やら面倒なことになると予感した。
「何です?」
「ネロス……お主に頼みがある……聞いてもらえぬか」
躊躇しつつも、重たげな眼が今は大きく傭兵を真正面から見すえ、マールは彼に語りかけた。
* * *
よろめくようにして木立の中をすすんでいる3人の男の身体中を、屈辱と憤激が駆けめぐっていたが、流血と激痛のため歩みは鈍重であり、身体中から吹き出る脂汗は彼らの脚かせとなった。とにかく今は一刻も早く血をとめ、治癒をすることしか、苦痛に耐えている彼らの念頭にはない。
罵りつつすすむ彼らの前に、いつの間にかひとりの若者が立っていた。
黄金の絹糸のような金髪は肩まで長く、長身の身体は手と脚との均衡が美しくとれ、若豹のようにしなやかで猛々しい印象を与える。
眉が薄く、眼は小刀で切れこみを入れたかのように鋭く、目じりが美しく釣りあがっている。鼻は高く、唇も薄くうっすらと蒼白く、肌は病的な白さであった。
奇相である。ひとつひとつの造作はむしろ整ったものであったが、それがひとつの面貌に収まると、どこか仮面のように作り物めいて、調和を乱しているような印象をあたえる。
「3人がかりでその様ですかい、みっともないですねぇ」
「……アザトース」
「貴様……なぜ出てこなかった!」
「だから、あたしゃ云ったでしょう?きっとあの男は強い。そんな雰囲気がする、やめた方がいいって」
微笑しているようなアザトースと呼ばれた男であったが、不思議なことにその表情は、どのような時でもそのような薄笑いを浮かべているような印象を受ける。声は無邪気に陽気であったが、甲高く、どこかきしむような調子っぱずれである。
「半金はもらってんだ、のこりをもらわなきゃいけねぇだろうが……貴様がいたら、何とかなっていたかもしれねぇんだぞ」
右手首を斬り落とされた男が、うめきつつ云う。
「はっは、そりゃどうですかねぇ?」アザトースは楽しげに笑い、訊ねる。切れ長の細い眼の奥で、何かが光ったようであった。「それよりもあの男、あんた“疫病神”って云ってましたよね。知ってるんですか?」
「あぁ……」吐きすて、顔を歪める。「タラの戦場で逢ったことがある。ネロスって云ってな……あのあたりじゃ傭兵の間じゃ、有名な男だ。どういうわけか、あの男を雇った側は、必ず敗けるって噂だ……」
「それで“疫病神”?」
「だが……どんな敗け戦でも奴は生きて帰ってくるってな、おまけに必ず金に見合う以上の仕事はする」
「要するに強いってことでしょ?いやぁ、たいしたもんだねぇ。あのユースチスって若造もなかなかだけどさ」
くつくつと、アザトースは細い眼をさらに細くして嬉しそうに笑う。男たちはそんなアザトースの様子を、白けたように見上げる。
「……うるせぇ、貴様と話をしていたら薄気味悪くてしょうがねぇ、この蛇野郎が。どけよ、早く傷を縫ってもらわねぇと……わかってるな、手前ェの分け前なんぞはねぇぞ」
「必要ないでしょ、あんたたちこそ」
問いただす間もなかった。豪奢な金髪をなびかせて、アザトースの身体が怪鳥のようにしなやかに3人の間を駆けぬけた。鞘走った銀光はその後からついてきたほどの、刹那の動きであった。
みっつの身体が崩れ落ちるのに、数拍必要だった。いずれも急所を斬り裂かれて、即死である。
アザトースは剣を収め、倒れ伏した男たちの隠しをまさぐると、シュメリアーヌス家の家宰たちが彼らに支払った銀貨の袋を取り出した。
「ははは、たったこれっぽっちかよ。安いよあんたたち、これじゃ割りにあわないねぇ」
片手でその重みを測りつつ陽気に笑う。たった今、3人の命を奪ったことなど、まるで忖度していないようだ。
「しかしまぁ、ネロス……“疫病神”ねぇ……すごい奴がいたもんだよ」
ぺろりと蒼白い唇を舐めあげた舌は、異様な赤さであった。うっすらと浮かぶその笑みは、今までのものとは異質なものである。陽気な仮面の下から冷ややかな化け物が、ぬるりと顔をのぞかせたようであった。アザトースは何度も何度も自分の言葉をかみしめる。
「ははは、どんだけ強いか……ありゃ見当もつかないよ、うんまったく……あいつは桁が違う……怖いねぇ、本当に怖いねぇ……」
(了)
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