【Ⅴ】
記事が出てからの約2ヶ月、K先生の心労はどれほどのものだったか想像するに難くありません。50年にわたって研究をつづけられ、真摯にその道に打ちこんできたK先生にとって『週刊B』の“捏造”記事は、誇りと功績を汚すものでした。
K先生は40年前のH遺跡の調査を不充分なものとして、精度と測定技術がより高い再調査を歓迎し、たとえ自分の結論と功績がくつがえることになろうと真剣にそれを受け止め、研究の進展を心から喜んでいました。
そんな先生が“捏造”などするなど絶対にありません。そして先生の周囲にも、そんなことを信じる者などいませんでした。
……それでも、すべては導かれるように終局へと向かっていました。
悪意とそれをささえる歪んだ好奇心と圧倒的な無関心は、時としてどのようなモノをも無慈悲に呑みこんでしまう、抵抗しがたい巨大な流れとなるのです。
2月、結婚の報告をかねて芳乃さんと2人、先生のお宅を訪ねました。海に面した高台の中腹に位置し、冬でも葉を落とすことのない九州の森に後背から抱かれ、先生のお宅はすでに早い春に包まれはじめていました。
ボクも芳乃さんも、大学の時から先生に師事しており、ボクたちの卒業に前後し先生もまた長き研究生活に終止符をうたれましたが、その後も交友はつづき、先に光明のない数年にわたるボクの浪人生活を陰に日向にささえてくださったのです。
あいにく先客があったため、玄関先で話をしました。その時の先生は、袖なしのちゃんちゃんこのようなものを羽織り、その下には何を着ていたかは憶えていないけれど「何だか猟師みたいな格好だな」と思ったことを記憶しています。
存外に元気そうで、奥様と2人。ボクたちが結婚することを報告すると、口々に「おめでとう」と云ってくださった。
記事のことを口にすると「その件は大丈夫、心配要らないよ」と穏やかにはっきり云われ……その表情に言葉に、その後のことを予期させる不安なものは何もなく、ボクたちはすっかり安心をして……お身体にお気をつけてくださいと最後に云い、その場を辞去しました。
時間にしてほんの5分ほどでしたが、それが先生と交わした最後の会話でした。
(つづく)
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