【Ⅲ】
ここから話は少し専門的になりますが、わかりやすいよう心がけます。 『週刊B』がH遺跡を捏造とした根拠は大きく3つです。
① 出土した石器に使われた石材が不自然だ。
② 40年前に出土した石器は旧石器時代でなく、縄文時代のモノである。
③ 40年前に出土した人骨は新しいモノである可能性がある。
順番に説明するとまず①ですが、石器を研究する上で素材となった石は大変重要なポイントです。金属器を持たない当時の人々は、狩りや調理をするのに石を打ち掻いた石器を使います。当然、硬くて切れやすくて、作る時に加工がしやすい石がベストです。ガラス質で不純物の少ない黒曜石、流紋岩、玄武岩などが多く使われました。石器を作るのに適した石はかぎられた地方でしか採れず、人々は良質の石材を求めて何百キロも旅をしたのでした。
九州地方でその当時、よく使われる石はS県のK岳の黒曜石です。『週刊B』はH遺跡とK岳が180km離れていること、H遺跡周辺であまり使われていないことを理由に、K岳付近の黒曜石をK先生が拾ってきてH遺跡にまき、それを発掘したのだと主張しました。
この理屈には大きな間違いがあります。まず距離が離れているから、使われないことはありません。実際もっと離れた山陽地方の遺跡からも、見つかっています。H遺跡周辺の人がK岳の黒曜石を使わなかったのは、近くの石材を使っていたからだけで、一方H遺跡の人々はより良質の黒曜石を求めて、K岳まで赴いて使っていたのです。さらに最近、H遺跡近くでK岳の黒曜石を使っていた遺跡が発見され、この理屈は完全になりたたなくなりました。後のことですが、連中の振りかざしたこの理屈こそが皮肉にも『週刊B』のクビをしめました。
次に理由②。『週刊B』が主張するように、40年前に出土した石器の中に旧石器時代のものでないモノが含まれていたことは事実です。40年前、旧石器時代の研究ははじまったばかりでまだまだ未熟でした。理化学的な測定法は確立されていなかったので、出土した石器の形や製作技術を検討して、系統だった編年を作っていったのです。これもやはり研究の進展とともに変わっていくものですし、旧石器時代の石器と思われていたモノが実は新しい時代だったり、逆に新しい時代と思われていたモノが古かったケェスもあります。
ところが『週刊B』は、発掘された石器は旧石器時代のモノではない→H遺跡は旧石器時代の遺跡ではない。→よってK先生による捏造が為された――という三段論法を展開して捏造を主張します。
最後に理由③を検討します。40年前に出土した人骨は頭蓋骨で、骨の厚さが現代人よりはるかに厚く、北京原人など世界で発見された原人に似通っていることから、旧石器時代の人間の骨と判断されたのです。
この件について、ある人類学者が誌上で「自分が観察した江戸時代の人骨にも200体のうち2体、病気のため異様に厚いモノがあった。だからきっとこの頭蓋骨は新しいに違いない」とコメントしていました。この人類学者のコメントですが、200体のうち何とたったの2体!病気のために厚くなった、わずか“1%”の特殊な例を引っ張り出してきて、これをH遺跡の人骨に当てはめるという乱暴な推測で、頭蓋骨が旧石器時代のモノか否かを判断しているのです。よくそれで学者などと云えるものだと、感心しますよ(それとも、統計学的に、この理屈は有効なのでしょうか?)。
ちなみにこの頭蓋骨は旧石器時代の人間と主張する専門家が多く、この人類学者の意見はただ彼個人の少数意見にすぎないのです。発掘された人骨は旧石器時代のモノではない→H遺跡は旧石器時代の遺跡ではない→よってK先生による捏造が為されたと、ここでも②と同様、飛躍した三段論法を『週刊B』は展開しました。
さらに先項で、ボクは再調査で人骨は発見されなかったと云いましたが、実は少量ですが、見つかっているのです。これは理化学的な分析により、数百年前の新しい人骨ということがわかっています。このことは『週刊B』の記事以前に正式に公表され、H遺跡は旧石器時代のみの遺跡ではない可能性があるとの見解は、すでに示されています。
さて②と③の理屈をみてみると、おかしなことがわかると思います。「旧石器時代の遺跡でない=旧石器時代の遺跡として捏造された」という図式を『週刊B』が使っていることです。今までの定説が間違っていたから、今までのデータは捏造だったとして、その当時調査したK先生が“捏造”したと主張しているのです。
これはとんでもないムチャクチャな理屈です。世界中の遺跡でそれまでの見解がくつがえされたら、『週刊B』の理屈では、それがたちまち“捏造”になるというのですから。くりかえし云いますが、これまで旧石器時代と云われている遺跡が、その後の研究の成果でくつがえるのは当たり前なのです。いやむしろ、それを目指して研究は進んでいくのです。
出土した石器や人骨が旧石器時代のモノでなかったら、その遺跡は旧石器時代でないだけです。ただそれだけの話なのです。
H遺跡は旧石器時代だけでなく新しい時代の生活の痕跡を残すことから、これまで云われてきたように、人骨と石器を出土する旧石器時代の遺跡ではなく、縄文時代、さらには近代の人々も生活していた“複合遺跡”であると考えるのが最も妥当と考えます。
逆にボクの方から訊ねたい。なぜ『週刊B』は、H遺跡が縄文時代などの複合の遺跡である可能性をみとめなかったのか?なぜ“捏造”の方が、より合理的だと考えたのか?
もちろん、答えられるわけないですね。初めから“捏造”の結論ありきで、恣意的に理屈の方をねじ曲げたのですから。連中は自分たちで“捏造事件”を“捏造”したのです。
さらに驚くべきは、誌上で“捏造”の根拠となる発言をおこなったのは、調査を計画した某国立博物館のHと、プロジェクト参加者であるOという人物であるということです。彼らは調査団の副団長としてH遺跡の再調査の計画を立て、調査に参加したスタッフでありながら、自分たちが発掘した遺跡を「捏造だった」と発言したのです。
彼らについては、もはや何も云うべき言葉もありません。そもそも文部省の研究費を使っておこなった調査の正式な報告書も出ないうちから、週刊誌にそのような発言をするなど、軽率のそしりを受けてもしかたないことですし、公務員(彼らは公務員です)としての職業倫理・守秘義務の遵守(公務員にはそのようなモノがある)に抵触するのではないでしょうか?
彼らは一読しただけでわかる、誤った理屈・知識で発言しており、『週刊B』は学識者の見解として、さも正しいように書きたてています。彼らはいわゆるタレント学者のようなモノなので、しょうがないんです。訊ねられたら、相手に都合のいい無責任なことはいくらでも云うのですから。問題は彼らの発言を利用し、ありもしない“捏造”という事件を、文字通り“捏造”した『週刊B』にあります。
(つづく)
【K先生の部屋で】・
【Ⅰ】・
【Ⅱ】・【Ⅲ】・
【Ⅳ】・
【Ⅴ】・
【Ⅵ】・
【Ⅶ】・
【Ⅷ】
【Blue side】へ戻る